東京あやべ会 東京近郊に住む京都府綾部市の仲間たちが集まり、楽しみ、助けあう。
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東京あやべ会の沿革


東京あやべ会が発足したのは、昭和42年5月28日のこと。場所は上野の「コルドンブルー」。会費1500円で、56人が集まった。立食パーティーの形式で、ハモンドオルガンの伴奏をバックに自己紹介が始まり、アンコールがまわるにつれて歌も出た。ついで43年、44年と春になると「コルドンブルー」で会を開く。しかし、その後暫く中断することに。昭和47年4月、久しぶりに市谷の私学会館で第4回の会合を開き、活動が再開。本会では、どちらかといえば帯刀直治さんらの個人的熱意に頼っていたのを改め、会の組織化をはかることになる。白波瀬米吉さんを会長として、幹事会をつくり、事務所も郡是高分子化学内に設けた。こうして、名簿や会報の発行も進み、次第に会としての基礎が出来上がって行く。


あやべ会の始まったころ 帯刀直治 - 第21号会報より抜粋 (昭和59年発行)

帯刀直治 旧臘、幹事会でいろいろ思い出話をしているうちに、それを書けと言われて原稿用紙を送りつけられ、さて大変なことになったなとペンを持ってみたが一寸も進んでくれない。まあいいや思いつくまま、おぼろげな記憶をほりおこしながら書いて見ましょう。
 昭和三十六・七年頃、ようやく成長時代になって“ふるさと”を思いかえす余裕が出来たか、あちこちで県人会が始まった。
 上京して二十余年、はて丹波の人達は何所で?何人来ているのだろうか?廻りを見廻したら、十数人は数えられただろうか?
 なんとかして“ふるさと”の人達の消息を集めてみようと思いたった。
 戦前には「奥丹波会」と言う会があって毎年先輩方が楽しそうに集まっていたのも懐かしく憶い出される。
戦後、福中会・丹後人会はあったが、綾部人の横のつながりはなかった。
 名簿だけでも作ってみようと、綾高・福高はては宮津高校の名簿迄集めて、東京在住者の抽出をして、約500名この人達に往復ハガキを出して返事のあった420名の「丹波丹後郷土出身者名簿」をガリ版で作ったのが三九年の夏だった。
 この結果は大きかった。
 四方洋さん佐々木伊十郎さん大槻義雄さんらが訪ねてこられ、又多くのお便りを頂いてやってよかったと嬉しかった。中には何の為に?とか政治目的か?等こちらの戸惑う様な質問もあり苦笑するものもあったが、私の考えはただ同郷人の結集だけだった。
 四方洋さん酒井龍実さん土田澪子さんその他若い人達の発案で、故郷を同じくする人達、特にふるさとと遠く寄る辺少ない若人達の「寄り処」となれる様な会を作ろうではないか、一応綾部地区出身者の会をと改めて名簿の作成にかかった。
 又々往復ハガキ、「綾部会名簿」第1号が出来、昭和42年5月初めての会が上野公園のコルドンブルーで開かれた。
 名簿総人数232名、参加58名、志賀綾部市長、梅垣商工会議所会長、小原綾高、芦田福高の校長の特別参加、林田悠紀夫さんの顔も見えなごやかな会でした。
 四十四年上野で開いた後中断もあったが、四十七年松下正巳さん、四方さん、土田さん、大槻彰さんらの骨折りで私学会館で再開、この時の会員数は415名で参加70名、ここで会長に白波瀬米吉さん、副会長吉田正太郎さん、庶務松下さん、広報土田さん、大槻さん、他数名の幹事と言う体制で、会称も『あやべ会』として久しぶりの会をたのしんだ。
 その後、いろいろな検討を重ねつつ十年余、会報編集の松下さん、土田さんの苦労、広告料などの資金面に会長以下幹事さんの努力等、これからの問題は次々とあるだろうが、よりよい会にする為に皆様方のご協力を願うこと切なる思いがあります。
 しかし、当初の「若い人と一緒に」「綾部の人の力を結集しよう」と言う目的がうすれてややもすると老人会の様な傾向は、郷人会一般の姿とはいえ一寸淋しい気もします。
 未来を背負って上京してくる若人達に『我等ここにあり』と呼びかけ『よし私達も頑張ろう』と言う気を起こさせる様な会になりたいものだと考え乍らペンをおきます。

筆者紹介
大正6年8月 物部村白道路に生る
昭和9年5月 上京、袋物卸商店員となる
昭和12年〜20年 三回の従軍経験をする
昭和21年3月 独立して袋物卸商を営む
昭和45年 病を得て廃業
昭和46年7月 千葉県柏市に移り、地域の各役職をつとめる
平成元年11月6日 ご逝去

 


あやべ会に憶う 初代会長 白波瀬米吉 - 第1号会報より抜粋 (昭和48年発行)

白波瀬米吉 人世、誰しも故郷は、最も印象の深いものであり、終生忘れることの出来ないものであります。
 私どもにとって、綾部は強い心のよりどころであり、「あやべ会」を通して、自らが慰められ、また一面には、清新の気が、鼓舞されるものと信じている一人であります。
 お互い、志をたてて故郷を離れ、首都圏の各界に活躍され、また地域社会に貢献されている方々に、お会いするだけでも、心に安らぎを与えるとともに、大変力づけられるものでありますから、常に進んで語り合い、助けあすことが出来れば、この上ない幸福であると思います。
 丹後出身の方には「丹後会」があり、但馬出身の方には「但馬会」があります。「但馬会」は、毎回の例会には、百数十人の方が、出席されて、極めて盛会であると、聞いて居ります。
 「あやべ会」も、その前身というべき「丹波会」という会が、芦田均先生の在世当時にありまして、山家出身の方や、村上国吉先生のご令息などが、特別の骨折りになって、毎回、二十人位の方が、出席なさった事を、記憶して居りますが、その後、跡絶えて甚だ遺憾に思って居りました矢さき、先年、帯刀様の多大のご協力により、今日「あやべ会」の基礎を、作って頂いたのであります。
 多勢の力を合わせて、「あやべ会」を盛り上げ、意義ある会として、多数の方々が、喜んで参加されるように、致したいものであります。

   
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